Novel
風の残歌

それから、どれほどの季節が過ぎただろう。
灰の野にはもはや血の匂いもなく、ただ風が吹いていた。
春になると、セリアの眠る地に白銀の花が咲く。
人々はそれを「黎明花」と呼び、朝露を集めて祈りを捧げる。
帝国とレヴァリアの境は、いまや地図の上では消えた。
かつて敵であった者たちは、互いに剣を下ろし、同じ風の下で、同じ空を見上げて働いている。
老いたラウドは丘の上からその景色を見つめていた。
傍らにはアルノが立ち、彼の手には一本の槍があった。
それはもう戦いの道具ではなく、風向きを測るただの棒に過ぎない。
ふと、ラウドの視線が、足元の花畑に動いた。
小さな影が、しゃがみ込んで黎明花を摘んでいる。
銀に近い淡い髪、花をそっと両手で包むしぐさ――
胸の奥が震えた。
(……姫様……?)
少女が顔を上げる。
無垢で澄んだ瞳が、風にはためくラウドの外套に向けられた。
セリアが幼いころ、城の庭で花を集めていたあの姿と重なる。
少女は小さく微笑み、摘んだ花を胸に抱えて駆けていった。
その背中を見送りながら、ラウドはゆっくりと目を閉じる。
「……姫様。あの子は、あなたに……よく似ておりました。」
アルノが静かに問いかけた。
「どうされました?」
ラウドは小さく首を振り、穏やかに笑った。
「いや……未来は、確かに続いておるのだと……そう思えただけじゃよ。」
「姫様が見たかったのは……この朝でしょうか。」
アルノの言葉に、ラウドは静かに頷いた。
「いや――きっと、もっと先だ。」
彼は目を細め、遠くの地平に咲く白花を見つめる。
「人が互いを赦し、同じ朝を信じるようになるその日まで。
あの方の誓いは、風の中で生き続ける。」
風が吹いた。
二人の外套を揺らし、かつての灰の野を越え、どこまでも澄んだ空へと、ひとひらの花弁を運んでいった。
そのとき、確かに誰かの声が聞こえた。
――「レヴァリアは、ここに。」
‐ END ‐
